大田区の不思議な霊獣たち…近世社寺建築装飾について 2009
12.31更新

近世(江戸)社寺建築装飾について
 江戸末期、幕府の統制が緩み寺社建築が寺社自身や裕福な商人・町人の寄進により造られた。このため寺社の建築装飾は、寄進者の願いを聞き入れた霊獣や装飾で飾られた。それらは日光東照宮の華麗な霊獣をお手本として造られたであろう。江戸市中や在郷の寺社に、霊獣や地紋彫りの個性的な建築装飾に囲まれた社寺が現れた。大田区では建立年代から下記の7社が確認されている(私見)。

ー01

《多摩川河口近くの六郷神社は、源義家奥州制定の出陣で白旗を掲げた社で知られる》
 
  現存社殿の本殿(三間社流造)は、享保4年(1719)と推定される。幕府財政の逼迫による、幕府作事の寺社が減少、一般民衆や裕福な商人による寄進で寺社が建造された頃の本殿である。詳細を見る(追加撮影予定)

 

ー02 《御嶽神社は一山行者が、神のお告げにより此の地に開いた神社である。江戸末期 天保2年(1831)に信者の村人と共に創り上げた小祠が始まりである》
 
  向拝の装飾や本殿壁面の彫刻は、江戸末期建築装飾を表す見事なものである。(大田区指定の文化財) 詳細を見る (追加撮影予定)
 

ー03 《堤方神社は池上本門寺台地外れにあり、第二次世界大戦の空襲から焼失を免れたひとつである》
 
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この神社は忘れられているようだが、天保11年(1840)の熊野社・若宮八幡などを合祀堤方神社となった、氏子達の浄罪が創り上げた素朴な江戸末期建築装飾の社である。詳細を見る

ー04 《元三輪厳島神社にあった弁天社は、現在、産業道路六郷橋付近の自性院境内に移築されている》
 
  牛頭天王堂(ごずてんおうどう)と名前を変えている。大田区指定の文化財となっており、江戸末期建築装飾の素晴らしい霊獣に囲まれている。建設は文久元年(1861) 詳細を見る

ー05 《向拝柱・籠彫の犀彫刻で見いだされた江戸末期建築装飾の久が原東部八幡神社 文久2年(1862)
 
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犀の霊獣は日常空間と神聖な領域を分ける場所に配置される。詳細を見る (追加撮影予定)

ー06 《池上本門寺 北極星(北辰)信仰で知られる妙見堂は奇跡的に戦禍をまぬがれ、江戸末期建築装飾のひとつの華麗な装飾を見せてくれる。おそらく大田区唯一の「籠彫りの持ち送り」彫刻を持つ》文久3年(1863)
 
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尻尾に蓑状の長いふさふさした毛を持つ「蓑亀」が神使であり、向拝全体にイメージされている。
  詳細を見る


ー07 《長遠寺(別称 馬込不動)は、元禄の頃復興された。現在の本堂は文久元年(1861)に宥円が再建した》
 
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一見して気づく雄大な水引虹梁は、ここが真言宗の札所だと思い起こす。当時の設計図もあり、幕末期の貴重な寺院遺構を示す。詳細を見る (追加撮影予定)
 

ー08 《長勝寺は日蓮宗の寺である、新井宿の郷士田中長勝が陽善院日繕を招き開祖した寺》2009年解体
 
  現在の本殿は江戸末期の建造と言われる、12月30日訪問したが、今年に本堂を解体していた。またひとつ江戸末期の寺が姿を消した、建築装飾類はどうなったのか訪ねてみたいと思っている。
 

ー09    
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