《江戸後期の装飾彫刻を見せる堤方神社…江戸末期の装飾過剰の初期》  2006.01.20
2009.12.02更新
堤方神社について……
 祭神は仁徳天皇、明治43年(1910)に現在地に移転した堤方神社、この神社は本門寺台地にあり、やや分かりにくい所にある。昔は若宮社といわれ、明治40年(1907)に三所神社、十二社(神社)、稲荷社などを合祀して堤方神社となった。幣殿・拝殿は天保11年(1840)の建設である(再建棟札あり)。江戸末期の神社特有の装飾で飾られている。下の写真は向柱木鼻の霊獣・龍である。柱に巻き付くように彫られている、赤い薄板の彩色は後の細工である。
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堤方神社の正面ー江戸後期の装飾を示す堂宮彫刻
 向拝正面横に用いる虹梁は水引虹梁(又は向拝虹梁)と呼ばれています、江戸末期の神社は虹梁など部材にも彫物を彫り、装飾過多になったとも言われていますが、その始まり頃を示す例と思う。
  堤方神社の水引虹梁も波状の彫物があり、木鼻は龍だが向拝柱を巻くように作られている、向拝柱にも籠彫(かごぼり)があり波の中に亀が彫られています。同じ頃作られた久が原東部八幡社の木鼻籠彫には犀が彫られている。また、水引虹梁の上にも龍が見えます。木地に彩色された赤色は後の細工らしい。右の写真は右側の龍の彫刻である。


 
上の写真は海老虹梁である。やはり木地に簡略な模様が彫られている。   右は下から見た龍の姿。
狛犬左写真  
向拝柱の組み物……拡大表示
狛犬右写真
《上の写真 左右どちらも子持ちの阿像である》
狛犬後ろ写真


狛犬は、どちらも「子取りの阿像」であろうと思われる、各一匹の子供を持ち、右の狛犬は口の部分が剥落している。やや。左の狛犬の口の開き方が少ないが吽像とは言えないように思う。尾は丸く、左右にのみ模様をつけたシンプルなものである。

狛犬の尾はあっさりと作られている。寄進は明治40年(1910)、石工名は不明である。
住所 池上1-15-2 (池上の台地のはずれ区立大森第四中学校側)
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