《川瀬巴水の生涯、東京20景のひとつ「馬込の月」昭和5年(1930)》 2010.03.03 更新
 

川瀬巴水 明治16年(1883)〜昭和32年(1957)

 川瀬巴水(本名、文治郎)は日本より海外での評価が高い作家である。皮肉なことに浮世絵の評価が海外から生まれた歴史を考えれば、今だにその流れを受け継いでいるようである。生まれは東京の芝である(現在の住所、新橋5ー6)。27才(1909年)の時に鏑木清方に入門し日本画を学ぶ、「巴水」の雅号を受ける。大正7年(1918)に同門の伊藤深水が、発表した連作版画『近江八景』を見て、その日本画にない斬新さに感激する。おそらく自分の向いている表現方法は、版画にあると考えたのであろうか、版画を創ろうと考えた。同年に処女作「塩原おかね路」を発表する。生涯に600点ほどの作品を製作したと言われる。

 彼の版画は、版元・渡辺庄三郎(1885-1962)が提唱した江戸時代の伝統的制作手法により出版された。この版画は「新版画」と言われ、伝統的制作方法に新しい時代の感覚を加えたものである。川瀬巴水は、題材に日本の風景を選び、そこに暮らす人々の様子を詩情溢れる版画に表現した。

  私は川瀬巴水が版画の中に描いた一瞬の情景、夕景や影になって詩情の風景、光と一瞬の時間が作りあげる風景が好きです。日本画より強く光(光の方向・コントラストではない)を意識した版画、それが新版画になったと考えています。江戸後期、日本に入ってきたカメラ・オブスキューラ(カメラ)を意識する、意識しないにかかわらず、その影響を受けていると思います、時代によって、与えられた影響があるのではないかと感じています。川瀬巴水は全国を歩き日本の風景を版画にしました。川瀬巴水は自分の風景版画を次のように述べています。

『写生し版画に制作し其の場所に時も日も天候も同じに皆様を立たしてお見せしたいと同様になればそれでいいので、筆者の満足この上なしです。』『川瀬巴水』特別展図録 大田区立郷土博物館刊 2007年。

 これは大変素直な言葉だと思います。明治、大正、昭和と時代の変化の中に身を置いた巴水は、変化してゆく日本の風景に敏感でした。特に身近な風景が変化して、壊れてゆくことに気づいたのでしょう、自分の見た風景を忠実に残しておこうと考えたのではないでしょうか、私は「巴水の版画」からそんな風に感じています。彼の版画があるからこそ、馬込の失われた風景を懐かしむことが出来るのです。

川瀬巴水浮世絵
「馬込の月」昭和5年(1930)
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「馬込の月」の描かれた場所は何処か、田無街道(荏原へのバス通り)の環七を跨ぐ新馬込橋にこの版画のレリーフがある。このあたり(三本松)の風景らしい。(住所北馬込2-28)現在、このあたりには松が無くなったが、昭和5年(1930)にはこのような風景が実在したのだ。


三本松のあった場所

川瀬巴水の住んだ馬込……最後は上池台の地で死去。

 川瀬巴水は大正15年(1926)に大森新井宿子母沢(現・大田区中央4-12)に住み、その後、昭和5年(1930)に馬込町平張975番地(現・南馬込3-17、区立馬込第二小学校の裏あたり)に移り住んだ。第二次世界大戦中は那須塩原に疎開したが、戦後、昭和23年(1948)から池上町1127番地(現・上池台2-33 都立荏原病院のそば)に戻り、昭和32年(1957)にこの地で没した。


川瀬巴水の版画、大田の風景―13点
東京20景 「池上市之倉 夕景」 昭和3年(1928)大田区立郷土博物館蔵
      「矢口」 昭和3年(1928)大田区立郷土博物館蔵
      「千束池」 昭和3年(1928)大田区立郷土博物館蔵
      「馬込の月」 昭和5年(1930)大田区立郷土博物館蔵
      「大森海岸」 昭和5年(1930)大田区立郷土博物館蔵
「池上本門寺の塔」 昭和3年(1928)個人蔵
「池上本門寺」 昭和6年(1931)個人蔵
「昇る月」 昭和6年(1931)大田区立郷土博物館蔵
「森ケ崎乃夕陽」 昭和7年(1932)渡邊木版美術画舗蔵
「洗足池乃残雪」 昭和26年(1951)渡邊木版美術画舗蔵
「池上本門寺之塔」 昭和29年(1954)大田区立郷土博物館
「池上乃雪」 昭和31年(1956) 大田区立郷土博物館
「暮れゆく古川堤」 大正8年(1919)大田区立郷土博物館
川瀬巴水の水彩画ー1点
 「雪月花 森ケ崎 」大正11年(1922)

「池上市之倉 夕景」
「大森海岸」 「洗足池乃残雪」 「矢口」矢口渡し付近)
 
  「池上本門寺の塔」
   
「池上本門寺」 「昇る月」 「森ケ崎乃夕陽」 「千束池」
 
「暮れゆく古川堤 「池上乃雪」 「池上本門寺之塔」
 
  「雪月花 森ケ崎 」 水彩画の原画
 

右の写真は、環七に架かる陸橋の「新馬込橋」と橋の欄干にある 「馬込の月」のレリーフである。右側が北馬込2-28で、馬込の月の民家がこのあたりにあったと言われる場所である。

 
新馬込橋写真
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