| 《馬込村、富士講縦川講が立てた常夜灯灯籠と富士講碑》 | 2008.9.25更新 | |||
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●富士山を天地の中心、国の平安や家内・衆生を祈る民間信仰は、長谷川角行が始め、享保年間には伊東伊兵衛〔食行身禄(じぎょうみろく)として知られる〕が特異な布教で爆発的な人気を受け、富士講という講をつくりあげた。その人気の勢いに幕府も禁止令を出したくらいである。 |
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| ●「東のお灯籠」について…… この灯籠は富士信仰のために建てられたらしい、竿石(灯籠の柱部分)には富士山を菩薩とした尊称「富士仙元大菩薩」、台座には講紋を刻んでいる。他の三面(竿石)には、「石尊大権現」(相模の大山の神格化)、「秋葉山大権現」、「金毘羅大権現」の三神の神号が刻まれている。明治の神仏分離の影響を受け「仙元大菩薩」の尊称が刻まれた石碑が少なくなることから、この灯籠は貴重なものである。台座には150名を越える馬込村の人名が刻まれています。 ●大田区の富士講は温和なものであり、講で集まり富士山に登り参拝した後、大山、江ノ島、金沢八景などを巡る信仰と遊びを兼ねたものであると思われる。また、月に一度ほど集まり経文などを唱えたと言います。大田区には富士講碑が12基ある。神社境内に5基、寺院境内に2基、そして路傍の「東のお灯籠」1基である。 ●「テテカワ講」(縦川講)は川崎宿の西川伊右衛門が開いた。大田区の富士講はこの講の枝講である、例えると親と子の関係です。 |
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| ■大田区内の富士講碑…… 羽田神社 安養寺 浅間神社(丸子橋) 浅間神社(大森) 六郷神社 三輪厳島神社 |
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住所 南馬込2丁目-25 |
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